私は専門学校を卒業後、長野県のとある総合病院に勤務しました。そこでは急性期病棟に勤め、術後早期の患者様に対するリハビリテーションを提供しておりました。なんの代わり映えもない平凡な理学療法士としてセラピスト人生をスタートしました。
学生時代はそこそこ勉強できていましたし、実習も特に問題なくクリアしてきました。しかし、臨床に出て数日、こんなにも臨床は難しいのかと壁にぶち当たりました。自分と先輩方のやってることは何が違うのか?学校教育だけでは到底埋めることの出来ない溝がそこには存在しました。それは恐らく「経験」だったり、「人間味」だったり...色んなことが含まれていると感じました。ここで勉強のスイッチが入った覚えがあります笑
講師をするようになり、受講生や後輩から「今までどんな勉強してきたんですか?」と質問されることがあります。具体的にはPNF・ボバース・発達運動学・脳科学・東洋医学・エネルギー療法・体軸理論・操体法・頭蓋仙骨療法・BiNI
などなど1-2年目で学びに出ました。1-2年目に持っている白紙のキャンパスに色々めちゃくちゃに書き込んだんです。混乱しっぱなしです。
あっちではこーいう こっちではあーいう みたいな連鎖にハマってしまったんです。だから3年目は思い切ってセミナー行くのやめたんです。
『そうだ。納得できないなら自分で創発すればいい』
と若いなりに技術と知識を組み合わせ、無い物は創発し、医療的な知識も一般常識も非常識もMIXしていきました。それを持って臨床に向かっていきました。頼れる先輩方に時には怒られながら自分のやりたい方針を信じ、その道を磨いてきました。知らず知らずのうちに結果は出始め、患者様や病棟スタッフから支持されるようになりました。今思えば、これがEmpathy
therapyの原型だったかなと...
行き着いた先は自分の理想像でもあった『徒手で全てを解決する』という世界。我々の手には無限の可能性があり、人間の身体は幸せになるために生きている。必要ないことは何もない。今起きていることも必然であり、必ず理由と解決策(予防策)が存在する筈だ。と確信しておりました。
その中で、病院という枠組みでは、私の表現したい、実践したいtherapyは叶わないという現状にぶち当たり、私にとって最も偉大な師である山岸茂則氏に相談しました。転職・自費開業のお話をいただき、中途半端にしていたBiNIapproachを全て受講。ここで学んでいたピースがパチパチとハマっていきました。そのまま認定セラピストに合格!(一浪しました笑)更に学びを深めていきました。
学びを深めていく中で、1年目から私の中に燻っていた『自分なりのtherapy』がどんどん大きく燃え上がっていくのを感じました。
自分の世界を表現したい想いにかられ、2019/9/1に独立しました。
現在は活動のフィールドを全国に広げ、色々な地域に出向き、therapyを提供しています。
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